皆様こんにちは。
気持ちの整理がなかなかつかずに、だいぶブログ放置してしまいました。
去年の12月に4年もの間乳がんで闘病していた母が亡くなりました。
このブログは母と出かけた時のわんことの思い出をずっと投稿しておりました。
母親が乳がんとわかった時、全身転移しており治療は不可能である、余命2ヶ月と言われました。
それでもあきらめたくなくて、一人でセカンドオピニオンに行き、必死に母を治してくれるお医者さんを探していた時期が懐かしく思います。
母は痛みから「もう治療も手術もしたくない」と訴えましたが、癌とわかるまでの間、別の病気だと思い込んで、別の病院に通院するのを手伝っていた私にとって「こんな終わり方はあんまりじゃないか」という気持ちが強かったんだと思います。
悔しくて、訪問医や別の病院に訴えかけてとにかく辛かった時期でした。
母のセカンドオピニオンで、内服の治療で悪魔で延命と考えるなら治療ができるという病院が見つかり、必死に母を説得しました。結果的に内服薬でおどろくほど母は一時的に元気を取り戻すことができ、余命わずかの間ですが一緒に大切な思い出を作ることができました。
元気になってきた頃の母。
母は生涯愛犬を一番に愛してました。自分でも思うのですが、私は母親に似ています。
外見から頑固なとこから愛犬命なとこまで。。。(笑)
自分が母親に似て産まれてきたこと、大切に思ってこれから生きていきたいと思いました。
あとは、おばあちゃんのところへ母を連れて帰りました。
まだ体力的に全回復していた頃ではなかったのですが、母とても嬉しそうで「ああ、親孝行ちゃんと出来て良かったな。」なんて思った記憶があります。
ひとつだけ後悔していることがあるとするなら、母が残りの時間で旅行にたくさん行きたいと言っていたこと。
結局一度しか願いを叶えてあげることができませんでした。
素敵なホテルで母はとても喜んでいたました。
写真は今となっては両親のわんこ、きなこちゃんとにこちゃんと写る母です。
母が元気だった時間は今からしてみたらもっと毎日貴重に過ごしていれば長いと思えたかもしれない・・・と思ってしまうのですが、期間にしてみると長い期間ではありませんでした。
それでも主として、母親の介護の一番近くで母の闘病を支えられたこと、この貴重な時間に感謝でいっぱいです。
まだ会いたい時もあるし、愛犬の成長だって話したいし、また一緒にお散歩も行きたい。
そんな気持ちで「もっと何か出来たんじゃないか」「あの時こうしていれば」と思う日もありますが、
私なりに母の介護に悔いはないと、きっとそう思います。
最後に、今まで一緒に住んでいたきなこちゃん、にこちゃんは今は父がとても可愛がって育ててくれてます。
メルティーは私がお迎えした子なので私と暮らしています。
みんな、笑って生活してるよ。大切な時間をありがとうね、お母さん^^
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